『進撃の巨人』が突き付けるもの
以前『進撃の巨人』を一挙放送していて、大掃除をしながらの片手間であるが、何とかながめた。(集中して観る時間はなかった)
残念ながら原作は未読である。
アニメ版第1期がちょうど2199と放映時期が重なっていたが、当時『巨人(ヤツら)にはこの艦では勝てない…』と、ものすごい敗北感を感じたのを覚えている。
『進撃の巨人』の世界はあまりにも残酷だ。
巨人と戦うことで、その残酷な世界に立ち向かうか。それとも圧政(壁の中でさえ、はっきりと身分階層の差がある世界だ)のもと”家畜の安寧”に甘んじるか。いずれにしても、稚い主人公たちが置かれた立場は過酷である。
戦って倒れた者についても、一切の美化は行われない。
勇気ある感動的な言葉を残した戦士でも、その次の瞬間には、足掻き悶え苦しみ醜態の限りを晒しながら、巨人たちに生きたまま四肢を食いちぎられ、凄惨な屍となる。
卑小な人間たちがそんな残酷な世界でどう生き抜くのか。どう生き、どう死んでいくのか。『進撃の巨人』はそんな物語だった。
2199が”若い世代にも受け入れられるように”可愛いヤマトガールズを増やしてみたり、重苦しい過去の大戦の匂いを払拭しようとする一方で、当の若い世代ははるかに重苦しい残酷な物語を見ていた。
自分にはそれが、未だに80年代の夢を見ている50代と、今の現実を生きる若い世代との差に思えて苦しかった。