YAMATO criticism

宇宙戦艦ヤマトについて、または宇宙戦艦ヤマトを通して考える。

宇宙戦艦ヤマトの女性論

 74年版Part1第12話『絶体絶命!オリオンの願い星・地獄星』に登場する医療班員。一見男性ですが、胸が不自然に膨らんでいます。

 実は当初この隊員は女性でした。松本零士調不美人キャラだったのを「ヤマトにブスは要らない」という西﨑プロデューサーの一言で男性に修正。しかし時間が足りず、胸が膨らんだままになってしまった。

 これは氷川竜介先生の講義で披露されたエピソードです。会場は女性の出席者も含め笑いに包まれました。でも自分は全く笑えませんでした。

 一緒に笑えればどんなにラクだろう、と思いながら。

   ひどく汚い言い方になりますが、旧作ヤマトはブスとババアは不要とされる世界、だと思います。(そう言わなければいけないことが、本当に辛いし、苦しい)

 女は女神か若く美しい森雪しか存在を許されず、母親だけがまあなんとか生かしておいてもらえるのですから。

 リメイクになって、女性の数は増えました。美醜の枠もちょっとは拡がりました。しかし年齢制限は相変わらずです。そして女性キャラは、誰かの母親であったり恋人であったり、男性キャラとの関係性なしには物語を作ることができない。

 それでも2199登場のメルダ・デイッツや2202登場の『銀河』クルーのように、希望はあります。

 古代進との関係性が物語の核になる森雪、2202における真琴と加藤、玲とキーマンなど、それを否定するわけではありません。ヤマトにおいて女性の生きる道がそれしかないことを批判しているのです。

 若く肉体的な魅力がなくても、また恋愛エピソードなどなくても堂々と生き、ファンを引き付けてやまない沖田・土方・真田・山南(芹澤さんも急上昇中かな)など、男たちの格好良さ、素晴らしさを見るにつけ、女なんかに生まれてしまったことを呪いたくなる自分がいます。

 

 2205において雪はどうやら艦長に就任するようです。でも自分はそれを素直に喜べません。 

 ヤマト世界における艦長と言えば、何をおいてもまず偉大なる沖田十三艦長。クルー全員の生命を背負い、時に非情とも言える決断を下します。

 例えば74年版Part1第4話。交戦により被弾し、ワープテスト開始時間までの帰還が怪しい山本機を一度は見捨てようとします。また第9話においても、定刻までに連絡のない古代達決死隊を待たず、浮上を命じます。

 どちらのエピソードも、古代進が若さ未熟さ故にあきらめず行動を起こし、ギリギリで危機を脱します。(しかしそれは結果論に過ぎない)それに対して沖田が深い安堵の声を上げる。苦しい決断をしながらも、クルーを思う沖田の感情が吐露されます。

 リメイク版においても、沖田・土方両艦長は別格としても、どの艦長もみんな、その重責を負うにふさわしい年齢と判断力を備えた大人です。(若さゆえに突っ走る役回りの古代守を除いて)

 キャラクターとしてのリメイク版森雪は大好きです。でも彼女が指揮官に相応しい経歴を積んできたとは思えない。例えば芹澤さんの下で軍官僚的な能力を発揮するのなら、まだ納得できるかもしれない。

 自分がもし機関科の人間だったら、古代の彼女か知らんけど、あんなのが艦長かよなんでオレらの山さんじゃねえんだよと思うだろうなあ。

 でも艦長になるのなら、どうかそれをねじ伏せるくらいの説得力のある活躍をして欲しい。

 失敗でもいいです。失敗して、さらにそれを乗り越える物語でもいい。古代を支える女から、自分の足で立ち、ともに戦う女であって欲しいんです。

 そんな二人の愛だからこそ、宇宙で一番尊いんだと私は思ってます。

 

【補足】

 雪の艦長就任について、ご意見をいただきました。

 〇 物語の設定上軍の人材が払底しており妥当ではないか

 〇 古代と結婚していたとしたら、同じヤマト乗艦は不可能ではないか

 うんうん。そうだよなあ…と思いながらも自分の中でなお引っかかる部分があり、それが何なのか、考えてみました。

 

1) 作品そのものが抱えるジェンダーギャップ

 男の艦長が多数戦死し払底していたとしても、”年配の経験を積んだ”女性艦長は一切出てこない。そもそも男性と若い女性しか存在させない作品構造への疑問。

2) 作品における艦長席の持つ意味

 私はポストさらば世代のヤマトファン”ですが、なんだかんだいっても74年版Part1イスカンダル編が骨の髄まで浸み渡っているようです。

 生と死が交錯する厳しい戦場において、艦長は乗員の命を背負い厳格に決断を下す者であり、乗員の生命を背負い、時に悪役すら引き受ける完成された存在(でなければならない)ってこだわりが自分の意識にあるようです。

(だからこそ未熟さや理想を体現する古代進は、旧作完結編において一回就任した艦長の座に自ら辞表を書くことになったわけです。逆に古代進が『艦長』に相応しい成長を遂げた時、その時は彼が主人公の座を降りる時なんじゃないか。だから2205以降主人公交替もあり得るだろうなと思っています)

3) やっぱり雪しゃん大好き(本音)

 なんだかんだ言っても雪が好きで、いやもうどうせなるなら人員合わせの昇格じゃイヤなんです。本物のカッコええ軍人になってくれええええ。当初めっちゃくちゃ反抗してたフランス衛兵隊を見事に指揮したオスカル様じゃないんですけどね。そのくらいやっちゃってください。

 無理やり艦長にするより、内心古代を案じながらも軍官僚として地球の守りをきっちりやる。いろいろ言ってくる市民もいるだろうが、亡き土方艦長の思い出を胸にそんなものをねじ伏せる、何を言われてもあなたたちを守るって雪しゃんを見たかったかも。

 

 アニメをジェンダー論で批判する論文を読むと、まあ当然っちゃ当然なんですけどたいてい1)の視点で終わっています。

 でも自分は2)や3)の視点も抱えていて、単純にどちらにもなり切れないし、1)で断罪するだけで偏りは解決するのか?本当は自分の好きなもの、当たり前と思っているもの、自分自身の血肉となっている価値観の中に問題があるのかもしれないと思ってもいます。