YAMATO criticism

宇宙戦艦ヤマトについて、または宇宙戦艦ヤマトを通して考える。

決して英雄なんかではなく

YAMATO CREW『アクエリアスアルゴリズム』第1話

https://yamatocrew.jp/crew/info/aalgo01/2/ #yamatocrew

 

 オリジナルシリーズの『宇宙戦艦ヤマト・完結編』から『宇宙戦艦ヤマト復活篇』の間を補完する物語。ついに書籍化です。

 リメイクシリーズも応援しているけれど、やっぱりオリジナルへの想いが断ちがたい私には、本当に嬉しい作品です。

 そして私にとって嬉しかったのは、この作品において、古代進が様々な痛みや家族への想いや戸惑いを抱えた”普通の男”として描かれているそのことでした。

 たびたび触れていますが、私は”ポストさらば世代”です。

 初めて触れたヤマトは『さらば宇宙戦艦ヤマト』で、それは凄まじい衝撃ではありましたが、本当に作品に心を奪われたのはTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト2』からです。

 私には6歳上の兄がいて、小学2年生の私にヤマトを見るよう半ば強制したのはこの兄です。『さらば』公開時中学2年生だった兄は、当時の多くの中高校生がそうであったように『さらば』に感動し、その後の『ヤマト2』に裏切られたと怒り、口汚く罵るようになりました。

 私は、ずっとその罵倒を受け続けながら「古代進は、名作の主人公・英雄として死ぬべきだったのか?」「なぜ自分は、名作と言われる”さらば”でなく、駄作と言われるその後の作品に心を惹かれ続けるのだろうか?」と考えるようになりました。

 

 40年もたってやっと結論らしきものにたどりついたのですが、私はどうも格好良く決断し断行する古代より、格好悪く悩み惑う古代の姿により惹かれ、いつしか同志のような共感と親しみを覚えていたようです。

 そしてそんな古代を受け止め、包み込むように愛するユキ。

 彼らと仲間たちがともに寄り添い、支えあって生きていってくれるなら、自分もまた救われるような気がしました。

 

 

 『復活篇』について、私は一度観たきりで、とても正視することができず、見直すことすらできずにいます。

 ユキと家族に背を向けてしまった古代。

 ”英雄””伝説の男”と持ち上げられる古代(その姿は、この作品に凄まじい思い入れがあったという西﨑さんの願望そのものだったのでしょう)

 そのどちらも見るのが辛く、私には耐えがたいものでした。

 

 正直に言えば『復活篇』はなかったことにして欲しい、このまま忘れられて欲しい、とずっと思っていました。

 

 しかし、この『アクエリアスアルゴリズム』がそういう思いを救ってくれるのならーーーー。

 著者の高島さんと、集結したスタッフの皆様に感謝いたします。

 

 余談ですが。

 『銀河英雄伝説』において、ヤン・ウェンリーの死後ユリアンやフレデリカが彼を偲ぶ場面の描写には、胸を締め付けられるような思いがします。

 英雄でも不敗の魔術師でもなんでもなく、ただのだらしない男でいいありのままのあなたそのものを愛してるんだ、という思い。

 ヤンや古代のような人間は、そういう思いに支えられて生きているんだと思います。

 

 そういう道を失ってしまった人間もいる。

 最後の最後まで”英雄”として孤高を生きる、それがラインハルトであり、デスラー総統なんじゃないかと思います。

 実をいうと、私は西﨑さんもそういう人だったんじゃないかな、と勝手に思っています。だから西﨑さんが自分を託すなら、古代ではなくデスラーの物語を描くべきだったんじゃないかと。

 現実的なことを考えたら『デスラーズ・ウォー』ではスポンサーがつかなかったでしょう。やはりヤマトでなければ。だからこれは、ただの勝手な一ファンの妄言です。