YAMATO criticism

宇宙戦艦ヤマトについて、または宇宙戦艦ヤマトを通して考える。

現実の死・架空の死

 自分のヤマト歴の始まりだった1978年『さらば宇宙戦艦ヤマト

 その衝撃については、以前にも書きました。

cosmo0alpha1.hatenablog.com

 おそらく今でもその全てをちゃんと言語化できていないほど、この作品が私という人間全部に及ぼした影響は大きかったと思います。

 同時にこの作品は、ポストさらば世代のヤマトファンである私にとって、真田さんにとっての科学のような、屈服さすべき強大な敵でもありました。

 しつこくてすみません。ご興味がありましたらお付き合いください。

物語の中の「死」

 『さらば』を観た(正確に言うとロマンアルバムで読んだ。年少だったので、遠方の映画館に行くことを許されず、親もわざわざ連れていく気はなかった)のは8歳の夏なんですが、そこに描かれた古代と雪の”死”は心をえぐられる衝撃でした。

 物語の中の死に対する衝撃は、その数年前にも経験していました。

 幼稚園児の頃『アンデルセン物語』の『がんばれママ』(原作は『ある母親の物語』)の回で号泣しました。

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 子どもを亡くした母親が我が子を取り戻しに行く話なんですが、この母親が道中とんでもない苦労をする。美しい瞳も髪も奪われ盲目・白髪になって、やっと我が子のもとにたどり着くも、”子どもは天国にいるんだからそのまま死なせてやるのが幸福"”お前の手元においても不幸な人生しかない”と、神様はやっと会えた子を母の前から連れ去ります。

 子どもだったから自分の感情を整理も説明もできなかったけど、それが納得いかなくて、悲しくて悔しくて腹ただしくて、ひたすら泣きました。

 そう。ただ「悲しい」とは違うんです。幸福であるはずの生が奪われる理不尽さへの憤り、怒りを伴う感情だったように思います。『さらば宇宙戦艦ヤマト』の衝撃はその何倍もの強いものでした。

 さらばのロマンアルバムには「ユキの青春」という見開きコラムがあるんですが、あのページはあまりにも哀切で、一字一句鮮烈に頭に残っています(子どもは幼かろうと、心を惹きつけられたものに対しては凄まじい探求心を発揮するものだと思います)

 だからヤマト2で彼らが生還した後、本当に、本当に嬉しくて泣いたんですよ。多分ここで『さらば』そのままのラストだったら、私は二度とヤマトを観なかったかも知れません。

 しかし当時中学生だった兄(私にヤマトを見せたのはこの兄でした)の反応は「死んだ方が感動的だったのに」でした。後にアニメ雑誌などで知ったアニメファンの評価も、多かれ少なかれ兄と同じようなものでした。

 その頃『銀河鉄道999』の『葬送惑星』という回を読みました。その惑星の住人は、お葬式の悲しいムードをこよなく愛し、お葬式をするために旅行者を殺害しています。子どもだった私は「死んだ方が感動的だなどというヤツは、この葬送惑星の住人と同類だ」と内心留飲を下げたものです。

 金儲け主義の糞アニメ、と揶揄するようになった兄と対照的に、熱烈なヤマトファンになった私は『新たなる旅立ち』『ヤマトよ永遠に』『宇宙戦艦ヤマトⅢ』とリアルタイムで視聴し、ますますヤマトにのめり込むようになります。

 当時の我が家は転勤族であり、この期間私も兄も数度の転校を経験しています。兄妹ともにいわゆる陽キャではなく、思春期の転校、とくに転校生が珍しい地方の街に編入した時のヨソモノ感は大きいものでした。兄が私に矛先を向けたのも、私がヤマトにのめり込んだのも、この事情が影を落としていたのではないかと、今なら思い当たるのです。

 後に松本零士先生がヤマト2での生還について「若者は死んではいけない」とするコメントを出しています。長いこと自分はこれを根拠に「ヤマトを特攻賛美アニメにしたいのか」とさらばを否定していました。

 しかし「生還するストーリーに改変された」という事実は一つですが、それぞれのスタッフにとっての真実は一つではなかった、と思います。あの言葉は松本先生にとっての真実でありそれはそれは重いものです。しかし商業作品として製作される以上続編の可能性をつぶしたくないという制作側の思惑もあって当然で、それも真実でしょう。

 西﨑さんにとっての真実はまた違うかも知れないし、同じ人間の中にさえ複数の想いが存在する。(自分は西﨑Pには散華の美学というか、終末・回帰の中に美を見出す傾向があるように感じています。当然興行上の計算もあるでしょうが、あの方がヤマトの最後を描きたがるのはそれだけでもないような気がする)

 さらに私は完結編前、82年頃の再放送で最初の『宇宙戦艦ヤマト』を見て、感銘を受けました。ドラマ編のカセットテープを繰り返し聞き、ロマンアルバムで内容は知ってはいても、ちゃんと見たのはこの時が初めてだったと思います。子どもながらに多くのファンがこの最初のヤマトに惹きつけられたことに納得できましたし、この過去の物語があるから、『永遠に』『Ⅲ』の古代と雪があるんだと腑に落ちたのです。

 しかし『さらば宇宙戦艦ヤマト』だけは度々TVでも放送されたにも関わらず、私はどうしても観ることができませんでした。

 私が初めて『さらば』を最後まで見たのは、完結編から数年後に開催されたヤマトサークル主催のビデオ上映会の場でした。