YAMATO criticism

宇宙戦艦ヤマトについて、または宇宙戦艦ヤマトを通して考える。

旧友との再会に涙とまらず…祝・宇宙戦艦ヤマト劇場版4Kリマスタ上映♪

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宇宙戦艦ヤマト劇場版4Kリマスター、ついに公開が始まりました。さっそく川崎チネチッタLIVEZOUNDにて鑑賞してまいりました♪

2005年11月にVIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズで開催された劇場版5作オールナイト上映以来、18年ぶりの劇場版Part1鑑賞です。

正直なところ、私は本だろうが活字だろうがTVだろうがビデオテープだろうが古いDVDだろうが動画だろうが、ヤマトであればいつでも全集中できてしまうので、映像とか音響の差はあまり意識していないんです。(セリフが替えられたというような内容の差であれば即反応しますが)

それでも、オリジナルの彼等の姿を大きなスクリーンで見て、声を聴いて、再会できた喜びに涙が止まりませんでした。

 

オリジナルPart1イスカンダル編の古代進は、真摯ではあるけれど時々悪ふざけもするまだ稚気の抜けない18歳の青年です。70年代当時のファンには『恐怖の欠陥人間』などと茶化されてもいた、以降の続編では見られないシリーズ中唯一無二の存在です。

家族と故郷を失った慟哭、そしてそれを奪ったものへの怒りと憎しみ、その憎悪のままに戦いに身を投じた悔い。

仲間とのつながり、初めて女性を愛した戸惑いなどなど。

そんな彼の姿に(おいおいそこ気付けや)(ああもうホントにバカなんだから)(ああ、この後ツラかっただろうな)なんて内心ツッコミを入れながら一喜一憂する。自分がPart1イスカンダル編を見る時はそんな感じです。

 

――ヤマトは兄か、ヤマトは父か、それともヤマトはわが友か

『古代(おれ)とヤマト』の一節ですが、ヤマトという言葉を古代進に置き換えれば、それはそのまま私の気持ちでもあります。

古代進という男は『さらば宇宙戦艦ヤマト』公開の年、8歳の夏に出会ってから40年以上ずっと心の中にいて、ともに人生を歩んできた存在です。

兄であり父であり(古代くんと雪の子どもになりたい、と思ったこともあったんですよ。もうずっと昔のことですが)そして友でもあり続けているただ懐かしく、慕わしい存在。『推し』という言葉では表しきれない、もはや『旧友』と言ってもいい存在。

彼とはじめて会った時私は子どもで、きっと私には彼のことがまだ分かっていないのだと思っていました。だから彼のこころを理解したいと願い、戦場という苦境に立ち続ける彼を理解するために、いろんなことを学び考えなければいけないと思いました。

(当時から”子どもにはヤマトは分からない”と言われていました。だから私は早く大人になりたいと思いました。そして大人になるには何を学べばいいのか考えました。ただ知識を得るだけでは大人にはなれないのだということも知りました。)

 

リメイクシリーズの『古代進』も自分にとって愛すべき存在であり、彼についていくらでも語ることができます。それでもやはりオリジナルには替えられないものがあります。でもその思いがリメイクシリーズを否定することになるとも思いません。

新しい世代のファンには2199や2202,2205の古代進こそがオリジナルです。そんな新世代の『古代進』が新世代のファンに愛され、新世代のファンの心の支えとして末永く生き続けられるよう心から願います。

自分にとって旧作(あえてそう表現します)の古代進がそうであったように。