YAMATO criticism

宇宙戦艦ヤマトについて、または宇宙戦艦ヤマトを通して考える。

音のないことの効用

 ヤマトというとまず音楽の素晴らしさ、ですが、あえて音楽を使わないことで効果を上げていると思う場面があります。

 すべての始まりである74年版第1話。その冒頭のシーンです。

  第1話は冥王星海戦ー沖田艦長率いる地球艦隊とガミラス艦隊との戦闘開始から始まります。

「レーダーに反応。目標接近」 

「3時の方向に敵。距離十万キロ」

 

 沖田艦の艦橋。クルーが矢継ぎ早に報告する緊張感あふれる場面ですが、パネルの効果音のみで音楽は入りません。

 その後場面が切り替わり、冥王星を遥かに望む宇宙空間。

 ここでも音楽はありません。パルス音のみが響く何もない空間。

 その静寂の中を、ガミラスの艦隊が轟音を響かせて過ぎ去っていきます。

  やがて開戦。ガミラスの圧倒的な火力の前になすすべもない地球艦隊。沖田艦も被弾し戦闘不能となります。

 ここに至り、ようやく沖田艦の苦境を表すような音楽が入ります。その間4分あまり。

 その後場面は一度変わり、火星のイスカンダルのサーシャの不時着と通信カプセル回収の場面を経て、再び冥王星海戦に戻ります。

 ここでも音楽が使われるのは、古代守と沖田艦長の真摯なやり取りから『ゆきかぜ』の撃沈まで。しかも、途中で音楽はフェイドアウトし、その静寂の後に爆発音が響き、ゆきかぜは宇宙の深淵に消えていくのです。

 

 音楽とは、その場面の”感情”を表現するものであると思います。

 それが楽しい場面なのか、悲しい場面なのか、音楽によって表現されるところが大きいです。

 74年版第1話の冥王星海戦は、この音楽をあえて抑え、感情を排した表現にしているように感じます。

 そのことで、戦場の無情さ、どんなに地球が苦境に立たされようとも、そこにあるまま変わらない無情で広大で深淵な宇宙というものを感じます。

 その無情の宇宙に、ヤマトはたった一隻で旅立とうとしているのです。

 

 宇宙って、広いんだ。

 子どもの頃、なんとなくそう感じた理由がやっと言葉にできたような気がします。